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政男兵記―私の前世は日本兵―

日本兵だった前世の記憶を掘り起こし、かつての人生を思い出していくブログ。

いろいろ調べてみた結果……(怖)

 とある方から、とても参考になる貴重な情報を提供して頂き、大変助かりました。この記事にて御礼申し上げます! 本当にありがとうございました!
 
 その方のコメントによれば、三重県にて徴収された兵隊さんたちは、どうやら津連隊区という所へ集められたそうですね。そこが徴収兵たちの兵営なのですね。
 政男さんもそこへ行かれたのかもしれません。
 
 昨日は市内の大きな図書館で色んな資料を閲覧してきました。
 最初は津連隊区を調べるためにWikipedia(笑)を見て、参考文献に書いてあった『陸軍戦史なんちゃら』という凄ーく内容がミリオタ上級者向けの本を読みましたが、途中でギブアップ(汗) 難しいミリ用語のオンパレードで頭痛がしてきましたので。
 
 その資料は諦め、ミリ無知の私はひたすら防衛省の所蔵資料(収穫なし)やらWikipedia(笑)やらを眺めるしかありませんでした。
 ですが、Wikipediaを見ているうちにだんだんと『お、これは!』と思えてきました。
 
 Wikipediaなので信頼できない情報かもしれませんが、一応心に引っ掛かった部分を引用しますね。
『1925年(大正14年)4月6日、日本陸軍の第三次軍備整理に伴い陸軍管区表が改正(大正14年軍令陸第2号)され[3]、同年5月1日、旅管は廃され第16師管の所属となり、管轄区域が大幅に変更され三重県全域となった。』
 ※Wikipedia 津連隊区 からの引用。
 
 1925年以降、旅管?(わからんな)は第16師管の所属になったとあります。師管って、師団に管理されてるってことでしょうか?(ネット辞書でなんかそういう説明出てきましたが理解力なさすぎてわからないや……)
 
 で、三重県には歩兵33連隊と151大隊とやらがあったそうな。若者たちがそこに徴収され、たくさん死んでしまったとな。(三重県戦争資料館のホームページにそう書いてありました)。
 歩兵33連隊は第16師団に所属していて、中国へ行き、南京へいったそうな。で、こっちの部隊は随分と恐ろしい噂まみれですな……(ガクブル)
 政男さん、もしかしてここ(歩兵33連隊)の部隊かい? と訊くと「絶対違う。俺は違うぞ。南京には絶対行ってないぞ」と必死に否定する感情が伝わってきました。なんか逆にきな臭いんだけど……。
 115大隊は、レイテ沖海戦などに関わっていて中国には関係なしって感じでした。
 
 でも、色々考えた所、やっぱり歩兵33連隊がなんかしっくりくるような? 無知なので曖昧ですが……。
 三重県、津、第16師団、歩兵33連隊……そして、政男さんの必死な拒絶反応。なんか、すごーく臭うのです。
 
 さらに、歩兵33連隊の中国出征の年表もだいたい政男さんの出兵時に被る気がするのです。
 政男さんが1939年に25歳で戦没した、というのが今の有力な情報です。仮に政男さんが満20才で徴兵を受けたとしたなら、その年は1934年。初年兵教育は基本二年間(でしたっけ?)、教育終了時は1936年。その後、中国行きが決まる……。
 
 Wikipediaにある歩兵33連隊の年表。
『1936年(昭和11年) - 帰還1937年(昭和12年)9月 - 天津に到着しその後石家荘、常熟、無錫などで戦ったのち南京攻略戦に参加1938年(昭和13年) - 徐州会戦や武漢作戦に参加。1939年(昭和14年)襄東会戦に参加。6月 - 帰還』
 ※一部の文を引用しました。
 
 うーん、だんだんと暗雲が晴れてきたような?
 物凄くきな臭いですがね。



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